@article{oai:meiji.repo.nii.ac.jp:00005405, author = {内村, 和至}, journal = {文芸研究}, month = {Feb}, note = {Article, 明治七年(一八七四)の春から夏にかけて、服部誠一(以下、撫松と記す)『東京新繁昌記』、高見沢茂『東京開化繁昌誌』、萩原乙彦『東京開化繁昌誌』の三著が引き続いて刊行された(参考図版1・2・3)。文体も作者の立場もそれぞれ異なっているが、この中で一世を風靡したのが撫松の『東京新繁昌記』だったことは明治文学史の常識である。以後、所謂「繁呂記物」か次々に生みだされた。しかし、人気売れ行き共に『東京新繁昌記』に及ぶものはなかった。それ以外は文学史の中から消え去ってしまったのである。それゆえ、今となっては、乙彦と高見沢の同名書『東京開化繁昌誌』も、撫松の後追いにしか見えないかもしれない。しかし、それはたまたま同時期の刊行となったまでのことで、乙彦も高見沢も、お互いはもちろんのこと、撫松の著も視野には入っていなかった。}, pages = {133--150}, title = {明治七年刊の「繁昌記物」をめぐって(上)-服部誠一・萩原乙彦・高見沢茂-}, volume = {137}, year = {2019} }